島根1泊2日の御朱印めぐり。出雲国神仏霊場めぐりしてきた!

 

こんにちは、信州さーもん(@goshumemo)です。

島根県の社寺めぐりをしてきました!朝6時に出雲大社に到着し、車を使って1泊2日旅行です。比較的効率よくまわれたと思うので、神仏霊場メインに島根県の社寺をめぐりたいという方の参考になればと嬉しいです。

出雲大社の御朱印についてはこちらもどうぞ!

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出雲国神仏霊場とは?

出雲の御朱印を調べると必ず名前の挙がる「出雲国神仏霊場」。霊場では珍しく神社とお寺の混ざった霊場です。本来8の字でめぐるルートがあるのですが、今回は完全に無視しました。

御朱印にそれぞれ漢字一文字ずつ書かれるのもカッコよくておすすめ!

出雲地方は、宍道湖、中海を囲んで、美しい自然と温かな人情がいまだ残る「日本の心の故郷」です。そしてその美しくも温かな人と自然の風景の中に、数多くの由緒ある神社・仏閣があるのです。  「出雲國神仏霊場」とは、今回「社寺縁座の会」に参画した20社寺に巡拝番号をうち、それに沿って宍道湖、中海を囲む出雲地方を大きく8の字を描いて巡っていただこうという壮大なラウンドルートです。決して慌てず、急がず、自分のペースで、「結ばれたご縁を大切にし、円くつなげて和をつくっていこう」という祈りの心をそれぞれが胸に抱く旅。さまざまな「不安」や「災い」にさらされる現代に生きる人たちにとって、そんな「心の旅」は、今なにより求められているものなのかもしれません。

出雲国神仏霊場とはより引用

 

今回の御朱印旅マップ

今回は島根県〜鳥取県へ抜けるルートだったので、ゴールは島根県松江市の美保神社です。神仏霊場すべてをまわれなかったので、あくまで参考程度にご覧くださいね。

 

市町村・エリア別の御朱印まとめ

まずはサクッといただいた御朱印をご紹介!

出雲市

出雲大社
通常 出雲国神仏霊場第一番
出雲大社 神楽殿
日御碕神社
通常 出雲国神仏霊場第二十番
長浜神社
通常 出雲国神仏霊場第十九番
須佐神社
通常 出雲国神仏霊場第十八番

雲南市

須我神社
通常 出雲国神仏霊場第十六番

 

大田市

物部神社
朔日限定金印

 

松江市

熊野大社
通常 出雲国神仏霊場第十五番
八重垣神社
通常 出雲国神仏霊場第十四番
賣布神社
通常 出雲国神仏霊場第六番
月照寺
通常 出雲国神仏霊場第五番
佐太神社
通常 出雲国神仏霊場第四番
美保神社
通常 出雲国神仏霊場第八番

 

まずは出雲大社へ

長野県から約10時間かけ、朝6時に出雲大社へ到着するところからスタートした今回の旅。着いた段階ですでに疲労困ぱい&睡眠不足です。

 

[voice icon=”https://goshumemo.com//wp-content/uploads/2017/05/2af01924b710f1085023fa369ed103dc.jpg” name=”信州さーもん” type=”l”]出雲大社は朝6時から参拝できるよ![/voice]

 

朝日をバックに雨上がりの空の下に佇む出雲大社は、まさに「荘厳」のふた文字がふさわいい雰囲気です。

これは私の気のせいかもしれませんが、出雲系の神社には「猪目(ハート型)」が多い!「猪目とは?」という記事も書いています。猪目の詳細はそちらにて。

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出雲大社の建築物は元の技法を最大限に活かしながら、少しずつ修復されています。

 

出雲大社は神楽殿でも御朱印をいただけます

出雲大社は本殿だけでなく、お隣の神楽殿でも御朱印をいただくことができます。出雲大社というとこの大きなしめ縄をイメージしていましたが、本殿のものではなかったのですね。

 

出雲大社といえばうさぎ!境内のいたるところで可愛いうさぎたちが見えます。全部で42羽いるそうですよ。

 

御由緒

大国主大神さまが神々の従者となって大きな袋を背負いながらイナバに赴かれている途次、赤裸となって苦しみ悩んでいるウサギに出会われ治療され助けられたという「因幡の素兎(いなばのしろうさぎ)」のお話しは古事記に記され、語り継がれています。 さて、出雲大社境内では社務所の南東に位置する「ご慈愛の御神像」と呼ばれる「因幡の素兎」がモチーフとなった大国主大神さまとウサギの青銅の御像の他、現在42羽のウサギたちがいます。 境内を散策いただいて、ウサギたちとふれ合いながらのお参りは如何でしょう。

出雲大社公式ページより引用

 

ごしゅメモ

出雲大社(いづもおおやしろ)

ご祭神  大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)
社格など  一ノ宮
所在地  島根県出雲市大社町杵築東195
電話番号  0853-53-3100
駐車場 あり
拝観料 なし
公式ページ  http://www.izumooyashiro.or.jp/

 

御朱印

出雲大社
通常 出雲国神仏霊場第一番
出雲大社 神楽殿

 

出雲大社の詳細は、出雲大社の御朱印と公式オリジナル御朱印帳/島根県出雲市でもご紹介しています!

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出雲大社前を散策

出雲大社の目の前には神門通りがあり、観光地として完成されたおしゃれな街を彩っています。さすがに早朝は空いていないので、お店がオープンし始める10時頃に再度寄ってみました。

 

神門通りには「御朱印帳専門店 しるべ」があります。オリジナルの御朱印帳や御朱印帳カバーなどが販売されており、出雲にちなんだデザインも多く見られます。

 

店名 御朱印帳専門店しるべ【出雲大社店】
所在地 島根県出雲市大社町杵築南772
電話番号  0853-31-4355
営業時間 10:00 〜 16:00
公式ページ  http://www.goshuincho.jp/

 

第二十番 日御碕(ひのみさき)神社

出雲大社の次に向かったのは、日御碕(ひのみさき)神社。朱塗りの社が印象的な海沿いの神社です。

 

 

ちなみに社務所は朝8時からでしたので、私たちは一通り参拝した後御朱印をいただくために30分ほど海辺でボ〜ッと待つことになります(笑)

 

 

 

 

ごしゅメモ

日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)

ご祭神  日沈宮(ひしずみのみや)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、神の宮(かみのみや)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)
社格など
所在地  島根県出雲市大社町日御碕455
電話番号  0853-54-5261
駐車場 あり
拝観料 なし
公式ページ

ご縁起

出雲の国造りをなされた素盞嗚尊は、根の国にわたり熊成の峰に登ると「吾の神魂はこの柏葉の止る所に住まん」と仰せられ、柏の葉を投げ、占いをされた。すると柏の葉は風に舞い、やがて日御碕の現社地背後の「隠ヶ丘」に止った。これにより素盞嗚尊の五世の孫、天葺根命(あめのふきねのみこと)はここを素盞嗚尊の神魂の鎮まる処として斎き祀ったといわれている。 日御碕神社の神紋、三ツ柏もこれに由来し、神域の付近からは柏の葉を印した「神紋石(ごもんせき)」と称される化石も出土している。その後、安寧天皇十三年、勅命で現社地に御遷座された。 日沈宮は「伊勢大神宮は日の本の昼の守り、出雲の日御碕清江の浜に日沈宮を建て日の本の夜を守らん」と天平七年乙亥の勅にあるように、神代以来、現社地にほど近い海岸(清江の浜)の経島(ふみしま)に建てられ、天照大御神を奉斎してきた。 その地にご鎮座なされたのは、天葺根命が清江の浜にお出かけになられた時、島の百枝の松に瑞光が輝き、「吾はこれ日ノ神なり。此処に鎮りて天下の人民を恵まん。汝速やかに吾を祀れ」との天照大御神の御神託を聞き、ただちに島上に大御神をお祀りした事に由来するとされている。 その後天暦二年、勅命により現社地に御遷座し、夕日を餞け鎮め祀る聖地として、四季を通じ夕日の祭を厳修、中央からは幸運恵の神として深く崇敬されている。国家守護の宮として「日」の字を、村上天皇より賜り、神の宮と併せ「日御碕大神宮」と称せられるようになったのも、現社地に御遷座された時からで、明治維新後社格制度により国幣小社に列せられ、日御碕神社と称するようになったのである。

http://www.shinbutsu.jp/51.htmlより引用

御朱印

日御碕神社
通常 出雲国神仏霊場第二十番

 

第十九番 長浜神社

日御碕神社から出雲大社を過ぎて、車で30分ほどで第十九番の長浜神社へ。

 

海藻がかかっていました。神様にお供えする神聖な海藻を「いづ藻」といい、「出雲」の語源だという説があります。

 

 

長浜神社は「妙見大社」とも呼ばれ、その名の通り星に対する信仰(妙見信仰)がありました。御朱印にも北斗七星の印が押されています。

 

ごしゅメモ

長浜神社(ながはまじんじゃ)

ご祭神  八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)
社格など
所在地  島根県出雲市西園町上長浜4258
電話番号  0853-28-0383
駐車場 あり
拝観料 なし
公式ページ

ご縁起

国土生成の神であり、「出雲国」という国号の命名者である八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)を祀る当社は、社号にも「出雲」を冠し「出雲社(いずものやしろ)」「出雲神社(いずもじんじゃ)」などと称していた。 古文書に「和銅三年菊月八日二時ノ帝ヨリ出雲国神門郡照浄山南方水海西出雲御社ト勅諚成テ廣太照光妙見トナン給シ~云々~」とあり、創立は和銅三年(710)以前で、後に妙見信仰が浸透したことがわかる。 中世以降は「妙見社(みょうけんしゃ)」・「妙見大社(みょうけんたいしゃ)」などと呼ばれ、明治以降は「長浜神社」となり今に至る。 かつては肥後の八代妙見・山城の家苗妙見と並び日本三大妙見と称されるほど霊験あらたかで知られた。 また、豊臣秀吉の唐入り(朝鮮出兵)の際の百日祈願でも知られる。加藤清正(かとうきよまさ)や片桐且元(かたぎりかつもと)・福島正則といった名だたる武将の参拝があり、その折の「弓掛(ゆみかけ)の松」が境内にある。緒戦の連勝連勝に太閤いたく喜び、桐の神紋をはじめ恩賞を授かっている。この頃から「武道・スポーツ上達の守り神」のみならず「勝負に勝つ神」として広く信仰を集めるようになった。 江戸時代には、大梶七兵衛の開拓に先行して、社家の秦重成(はだしげなり)・喜兵衛(きべえ)の兄弟による私財をなげうっての海岸の砂防植栽と神門水海(かんどのみずうみ)干拓事業が、近世の国引きとして地域開発の歴史の一頁を彩る。 戦前の社格は県社で、現在は島根県特別神社に指定されている。

出雲国神仏霊場より引用

 

御朱印

長浜神社
通常 出雲国神仏霊場第十九番

 

第十八番 須佐神社

長浜神社から一気に山方へ車を走らせます。20分少々行くと、須佐神社にたどり着きました。出雲国神仏霊場の第十八番です。

 

御祭神は素盞嗚尊など。

 

ごしゅメモ

ご祭神  須佐之男命(すさのおのみこと)稲田比売命(いなたひめのみこと)、足摩槌命(あしなづちのみこと)、手摩槌命(てなづちのみこと)
社格など
所在地  島根県出雲市佐田町須佐730
電話番号  0853-84-0605
駐車場 あり
拝観料 なし
公式ページ  http://www.susa-jinja.jp

ご縁起

出雲風土記に、この国は小さい国であるがよい処である。それで自分の名は岩木にはつけない、土地につけると大神が仰せられて大須佐田、小須佐田を定められ、自分の御魂を自ら鎮められたという意が書かれてあり、即ち、須佐之男命の御終焉の地として御魂鎮の霊地、又御名代としての霊跡地であり、大神の本宮として大神奉祀の神社中殊に深い縁を有している。須佐之男命の御本宮として古くより須佐大宮、天文年間には十三所大明神と言われていた。出雲の大宮と称えられ、朝廷をはじめ累代国守、藩主、武将の崇敬は申すに及ばず、世人の尊敬は厚く、社殿の造営は、武将、藩主によって行なうのを例としてきた。明治五年郷社に、明治六年県社に、明治三十二年国弊小社に列せられ、第二次大戦の終戦後は別表神社として今日に至っている。須佐之男大神が御魂を鎮められた須佐の宮地を守る稲田の首(いなたのおびと)に稲田姫命の両親、足摩槌命、手摩槌命を任ぜられてより須佐宮司家は国土開拓に功ありし国つ神の末裔として、古き世には国造に命ぜられており。それより、今日まで須佐宮司家は連綿と続いており現在の宮司は七十八代目である。

出雲国神仏霊場より引用

御朱印

須佐神社
通常 出雲国神仏霊場第十八番

 

石見一ノ宮 物部神社

須佐神社の参拝を済ませ、出雲市を出て1時間ほどで物部神社へ。石見一ノ宮の物部神社は、島根県大田市に鎮座しています。

 

物部神社のシンボルは鶴。

 

ちょうど、参拝した2017年6月1日からこの「日負い鶴」の神印が押されるようになりました。

 

 

ごしゅメモ

物部(もののべ)神社

ご祭神  宇摩志麻遅命
社格など  石見一ノ宮
所在地  島根県大田市川合町川合1545
電話番号  0854-82-0644
駐車場 あり
拝観料 なし
公式ページ  http://www.mononobe-jinja.jp/

 

御朱印

物部神社
朔日限定金印

 

1日目終了!出雲に戻って海の幸を食す!

前日の夜から車を走らせ、朝6時から動きまくって疲労困憊の一行。夜は早めに出雲へ戻り、海の幸を満喫しました!

 

2日目のスタートは第十六番 須我神社

2日目は雲南市へ移動し、出雲国神仏霊場第十六番の須我神社からスタートです!

 

ヤマタノオロチ伝説、しょうが入り番茶をいただきます。お土産にお茶を買って帰る方もいらっしゃいました。

 

ごしゅメモ

須我神社(すがじんじゃ)

ご祭神  須佐之男命(すさのおのみこと)
社格など
所在地  島根県雲南市大東町須賀260
電話番号  0854-43-2906
駐車場 あり
拝観料 なし
公式ページ  http://www.suga-jinja.or.jp

 

ご縁起

古事記(和銅五年・712年)所載では、八岐大蛇を退治せられた須佐之男命(すさのおのみこと)と奇稲田比売命(くしいなたひめのみこと)は、出雲国須賀の地においでになり、この地に宮殿を御造りになった。二人の間の御子神が清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)で、この三神が須我神社の主祭神である。 出雲風土記(天平五年・733年)ではここを須我神社、須賀山、須我小川などの名前に表現され、風土記抄(天和三年・1683年)には須我村とあり、須賀は広くこの地方の総称であったことがうかがわれる。 須我小川の流域には、かつて十二の村があった。須我神社はこの地方の総氏神として信仰されていたものであり、また、須我山(御室山、八雲山)の山ふところには巨岩夫婦岩ならびに小祠があり、須我神社奥之宮の磐座(いわくら)として祭祀信仰されている。 合殿の武御名方命(たけみなかたのみこと)は天文年中、当地(淀之荘)地頭職として神(みわ)中沢豊前守が信州諏訪より来任されたとき、その氏神武御名方命の神霊を勧請してこの須我神社に合祀し、諏訪大明神として崇敬せられた。以来村名も諏訪村と改められたが、明治二十二年、元の地名の須賀に復し現在に至っている。 明治二十五年十一月八日、元の島根県社に列せられた。

出雲国神仏霊場より引用

 

御朱印

須我神社
通常 出雲国神仏霊場第十六番

 

第十五番 熊野大社

出雲国一ノ宮、熊野大社も参拝。

 

 

ちなみにお昼は、熊野大社の駐車場脇にあった旬菜レストラン「知足亭」でいただきました。

 

田舎めしのアラカルトがワンコインで食べられます。詳細記事もあるのでこちらもご参照ください!

ごしゅメモ

出雲国一の宮熊野大社(いずものくにいちのみやくまのたいしゃ)

ご祭神 神祖熊野大神櫛御気野命(かぶろぎくまののおおかみ くしみけぬのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)
社格など
所在地  島根県松江市八雲町熊野2451
電話番号  0852-54-0087
駐車場 あり
拝観料 なし
公式ページ  http://www.kumanotaisha.or.jp/

ご縁起

創建は神代である。 初見は「日本書紀」(720)の斉明天皇5年(659)に「出雲國造を厳神の宮をつくらしむ」との記載がある。「出雲国風土記」(733)の熊野山の条項に「熊野大神の社坐す」とあり、当時は熊野山(現在の天狗山)に鎮座していたことがわかる。「延喜式神名帳」(927)に熊野坐神社と見え、日本火出初神社とも称され、古来杵築大社(出雲大社)と並んで出雲の国の大社として鄭重な扱いをうけた。 上古朝廷のご尊祟が極めて篤く、仁壽元年(851)に従三位を、貞観9年(867)に正二位の神階を授与された。中世の頃に熊野山から麓に移る。また、上の宮、下の宮の二社に分かれ奉仕されるようになり、江戸末期まで上の宮には熊野三社権現、下の宮は伊勢宮とも呼ばれた。殖産興業・招福縁結・厄除の大神として衆庶の信仰が深い。 明治4年(1871)国幣中社、大正5年(1916)国幣大社に進列された。しかし、社号は明治の神社制度改正で大社から神社となってしまい、大社号の復活が望まれて久しかった。が、昭和53年(1978)の昭和戊午遷宮で熊野大社に復活した。 昭和53年の戊午遷宮を機に本殿をはじめ諸社殿、境内が一新され、氏子の会である氏子会はもとより全国に熊野大神を信仰する人々を組織し“祟敬会”を結成して、神光が日々に全国に照り輝いている。古来特に出雲大社との関係が深い。出雲大社の祭祀は熊野大社の「神聖の火《熊野大神の霊》」、燧臼燧杵の神器を拝載する事によってはじまるとされ、出雲大社宮司(出雲國造)の新任時の霊継式(火継)、また年々の当社の鑽火祭に於いて新しいその神器が授与される。

出雲国神仏霊場より引用

 

御朱印

熊野大社
通常 出雲国神仏霊場第十五番

 

第十六番 八重垣神社

お腹も満たして元気になった一行は、車で20分ほどかけて松江市の八重垣神社にやってきました。

 

「八重垣」と聞くと「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣造る その八重垣を」という古歌を思い出します。

この八重垣神社の文字は「結」。縁結びのご利益があります。

 

鏡の池で縁占いをしてみよう

鏡、と呼べるほど澄んでいるかはともかく、ここでは水占いができます。

 

水に浮かべると占い結果が浮き出るもの。その上にコインを乗せて心の中でお祈りしてみましょう。

 

ごしゅメモ

八重垣神社(やえがきじんじゃ)

ご祭神  素盞嗚尊(すさのをのみこと)、稲田姫命(いなたひめのみこと)
社格など
所在地  島根県松江市佐草町227
電話番号  0852-21-1148
駐車場 あり
拝観料 なし
公式ページ

ご縁起

当地は素盞嗚尊が八岐大蛇を退治した時、稲田姫命を佐久佐女の森(現境内、奥の院、鏡の池がある森。小泉八雲は神秘の森と称している)の大杉を中心に八重垣を造って稲田姫命を隠された避難地の中心とも言われている。 八岐大蛇を退治された後、須賀の里よりさらに稲田姫命の避難地であった当地にも宮造りされ、「八雲立つ 出雲八重垣 妻込みに 八重垣造る その八重垣を」との御歌の八重垣をとって八重垣の宮とされ、此処で御夫婦生活を始められた所であり、我が国の縁結びの大祖神、家庭和楽、子孫繁栄の大神、和歌の祖神とし、また一面災難除け、国家鎮護の守護神として、第六十四代円融天皇の御代には全国に三十の社を選定され三十番神と称して崇敬された。 御神階も四回昇叙の社は出雲では当社を含め三社しかなく、他に類例のない格別の社で、白河天皇承暦四年六月社司に中祓の儀を命ぜられるなど、朝廷の御祟敬社で、爾来出雲国司代々神領を寄進され、社頭の宏大、結構、近郷に比類なしと当時の古書「懐橘談」にも記されている。 また、松平藩主名残りの参拝社でもあり、分霊を東京麻布の別邸に奉斎されるなど、藩主、武将などの崇敬も集めた御社である。昭和五十六年には神社本庁に許可され別表神社に社格をあげ、平成十五年には遷宮を斎行し本殿の屋根替えをはじめ各種建物の新改築および境内整備をし、全国から参拝される崇敬者、観光者の方々も年毎に増えている。

出雲国神仏霊場より引用

 

御朱印

八重垣神社
通常 出雲国神仏霊場第十四番

 

第六番 賣布神社

八重垣神社から車で15分ほど、宍道湖に通じる大橋川の近くに鎮座する賣布(めふ)神社へ。川沿いから入ると、裏手に空きスペースがあるのでそちらに駐車します。

出雲神仏霊場の第六番。「めふ」とは、海藻や草木が豊かに生えることを意味しています。

 

社のいたるところに龍が彫られているのが特徴。

 

ごしゅメモ

賣布神社(めふじんじゃ)

ご祭神  主祭神 速秋津比賣神(はやあきつひめのかみ)
水戸(みなと)の神であり、祓(はら)え戸(門)の神
相殿神 五十猛命(いたけるのみこと) 大屋津姫命(おおやつひめのみこと)
柧津姫命(つまづひめのみこと)
社格など
所在地  島根県松江市和多見町81
電話番号  0852-21-4972
駐車場 あり
拝観料 なし
公式ページ

ご縁起

当社は、「出雲国風土記」に「賣布社(めふのやしろ)」、「延喜式」には「賣布神社(めふのかみやしろ)」と記された古社であり、社名の『めふ』とは、海藻や草木の豊かに生えることを意味している。 元の鎮座地は、古代名の「意宇の入海(おうのいりうみ)」(今の宍道湖)の西部湖岸と考えられ、潮の流れや地形の変動に伴い遷座され、岩崎鼻(袖師ガ浦)に鎮座した時代もあり、潟地が広がって白潟(しらかた)の地が形成されて現在地に遷座されたのが十三世紀頃と考えられ、「白潟大明神」とか、十五世紀には「橋姫(はしひめ)大明神」とも称され、水郷松江の産土神(うぶすながみ)として鎮座した。 また、中世には港町「白潟」の宮座の権利として神田や漁業権を保有してきた歴史があり、祭儀では摂社の「櫛八玉神」の御事蹟と関連して、古代神話の国譲りの段に因む神事が継承されてきた。

出雲国神仏霊場より引用

 

御朱印

賣布神社
通常 出雲国神仏霊場第六番

 

第五番 月照寺

今回の旅で唯一のお寺、月照寺。出雲国神仏霊場の第五番です。松江藩松平家の菩提寺。駐車場は境内手前の専用駐車場を使用しました。

境内はとても広く、それぞれゆかりになっているものも異なります。

 

信濃国(長野県)出身の力士、雷電の碑を発見しました!松江藩のお抱え力士として有名だった、当時の花形力士です。

 

現在、雷電生誕250周年で大いに盛り上がっていますよ。

 

大人500円の拝観料を払って中へ。

 

受像碑(大亀)をみに行きました。

 

どーん!

鼻先で私の身長ほどある大きな亀さん。夜な夜な松江を徘徊するとか、しないとか。

 

参拝した6月にはきれいなあじさいもみられ、「山陰のあじさい寺」とも呼ばれています。

 

ごしゅメモ

月照寺(げっしょうじ)

ご本尊  阿弥陀如来
山号  歓喜山
宗派  浄土宗
札所  出雲国神仏霊場第五番
所在地 島根県松江市外中原町179
電話番号  0852-21-6056
駐車場 あり
拝観料 大人500円
公式ページ

ご縁起

浄土宗では御本尊の阿弥陀佛は西方浄土におられるという。月照寺はもと洞雲寺(とううんじ)という禅林であったが、松江城の西に位置する三方を山に囲まれた水量豊かな要害の地であるため、寛文四年(1664)松江藩祖松平直政公は、生母月照院の霊牌を安置すべく、浄土宗長誉上人(ちょうよしょうにん)を開基とし、蒙光山(むこうさん)月照寺として改称復興したのがその始まりである。 さらに直政公の没後、二代綱隆(つなたか)公が父の遺命により境内に廟を造り、山号を歓喜山(かんきさん)と改めて以来、九代にわたる藩主の菩提寺として栄えてきた。

出雲国神仏霊場より引用

 

御朱印

月照寺
通常 出雲国神仏霊場第五番

 

第四番 佐太神社

出雲国二ノ宮の佐太神社は、出雲国神仏霊場の第四番。

月照寺からは、松江市を北に15分ほど進みます。

 

「平成の大修復記念」の御朱印帳が頒布されていました。

 

ごしゅメモ

佐太神社(さだじんじゃ)

ご祭神  正殿
佐太大神(さだのおおかみ)、伊弉諸尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、速玉男命(はやたまおのみこと)、事解男命(ことさかおのみこと)
北殿
天照大神(あまてらすおおかみ)、瓊々杵尊(ににぎのみこと)
南殿
素盞鳴尊(すさのおのみこと)
社格など
所在地  島根県松江市鹿島町佐陀宮内73
電話番号  0852-82-0668
駐車場 あり
拝観料 なし
公式ページ  http://sadajinjya.jp/

 

ご縁起

当社は出雲国風土記に佐太大神社、あるいは佐太御子社と記されている古い神社である。本殿、直会(なおらい)殿、舞殿、神門、および数宇の摂末社(せつまつしゃ)などの建造物を有している。 祭神は、正殿に佐太大神(さだおおかみ)、伊弉諸尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、速玉男命(はやたまおのみこと)、事解男命(ことさかおのみこと)。

北殿に天照大神(あまてらすおおかみ)、瓊々杵尊(ににぎのみこと)。南殿に素盞鳴尊(すさのおのみこと)、秘説四柱の神が祀られている。 主神の佐太大神は、猿田彦大神(さるたのひこおおかみ)で、出雲国風土記によると加賀(かが)の潜戸(くけど)に御誕生になり、古くから導きの神、道開きの神、福の神、長寿の神、交通・海上守護の神、地鎮の神として信仰されてきた。 清和(せいわ)天皇貞観(じょうがん)年中従四位下に叙され、後鳥羽院の時代には神領七千貫・神主社僧二百二十四人と定められていたという。延喜式(えんぎしき)には佐陀大社と記され、出雲二宮と仰がれていた。

出雲国神仏霊場より引用

 

御朱印

佐太神社
通常 出雲国神仏霊場第四番

 

ラストは美保神社!

島根県ラストの神社は、最東端にある美保神社。出雲国神仏霊場の第八番です。

 

島根県の神社は、冷たいお茶を置いておいてくださることが多かったです。旅人にとって、これほどのおもてなしはありません。おいしくいただきました。

 

全国に鎮座する「ゑびす様」の総本社でもあります。

 

ごしゅメモ

美保神社(みほじんじゃ)

ご祭神  三穂津姫命(みほつひめのみこと)
高天原の高皇産霊神の御姫神、大國主神の御后神
事代主神(ことしろぬしのかみ)
須佐之男命の御子孫、大國主神の第一の御子神
社格など
所在地  島根県松江市美保関町美保関608
電話番号  0852-73-0506
駐車場 あり
拝観料 なし
公式ページ  http://www.mihojinja.or.jp

 

ご縁起

三穂津姫命(みほつひめのみこと)は大國主神の御后(おきさき)神で、高天原から稲穂を持ち降り耕作を導き給うた農業及び子孫繁栄の守り神。事代主神(ことしろぬしのかみ)は大國主神の第一の御子神(みこがみ)で、「ゑびすさま」すなわち漁業・商業を始め広く生業の守護神として敬仰され、美保神社も全国各地にあるゑびす社3385社の総本社として、ことに水産・海運に携わる人々から広く敬い親しまれてきた。

出雲国神仏霊場より引用

 

御朱印

通常 出雲国神仏霊場第八番

 

 

島根県社寺めぐり 旅のまとめ

社寺の数が多すぎてだいぶ駆け足でご紹介しました。他にも「古代出雲歴史博物館」や、

 

鉄の歴史村なんかにも立ち寄っていますが、今回は割愛。出雲の歴史に触れるには良いスポットだったと思います。

 

この記事が、みなさんの参考になれば嬉しいです。

 

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信州さーもん

長野県観光メディア「Skima信州(@skima_shinshu )」神社・お寺と御朱印ブログ「ごしゅメモ(http://goshumemo.com )」「旅する鮭朝」とかやってる平成生まれの魚。兵庫県出身信州在住。一本桜、宿場と街道、滝、地名、温泉、御朱印、ダムカード。長野の観光に関するお仕事、お待ちしています!