【福島正則屋敷跡】高井寺の御朱印|長野県高山村

こんにちは、信州さーもん(@goshumemo)です。

長野県の北部、高山村の高井寺(こうせいじ)へ参拝してきました。2度目ですが、ご住職がいらっしゃって御朱印もいただけたので記録しておきます。

高山村では唯一「県史跡」に指定されている福島正則公屋敷跡でもあります。高井寺は屋敷跡地に建立され、遺品も安置されています。

毎度福島正則ファンと間違えられるので勉強しておこうと思いました。

 

ごしゅメモ

高井寺の御本尊、山号、宗派や所在地、御縁起などをまとめました。

御本尊、拝観時間、駐車場は?

ご本尊 阿弥陀如来
山号 高井山
宗派 浄土真宗本願寺派
札所なし
所在地高山村大字高井堀之内196
拝観時間なし
駐車場あり(敷地内に停めています)
拝観料なし
公式ページhttps://kouseiji.com/

 

御縁起

寺伝によると、井上又太郎の家臣小野沢文五の嫡子・籐三郎宗信が親鸞上人の東国布教のさいに弟子となり出家した。

この宗信が、雨宮(今の千曲市)に高松寺(こうしょうじ)を建てたのがはじまりという。

その後水害により須坂市中島町へ移転した。しかしふたたび水害を受けて元亀元年(1570)僧賢超によって高井の字八幡添に移転・再建されたという。このため賢超が中興の祖となっている。

元和元年(1621)の福島正則検地帳には、堀之内の八幡社近くに「かうしゃう寺」という寺があり、六●五●の屋敷と畑を名請けしている。「かうしゃう寺」とは、高井寺の前身・高松寺のことであろう。

堀之内屋敷跡は「福島正則の屋敷跡」で、政則がこの館を没したのは寛永元年(1624)である。その跡をついだ四男政利が同一六年(1639)に病死すると、領地や館は幕府に没収された。

天明五年(1785)僧信道のとき現在値の堀之内館跡に移転した。
高井寺が堀之内館跡に移転した経緯は不明だが、移転したのは幕府が館を没収してから約一五〇年後のことである。

公式HPより引用

 

御朱印

御朱印の右には「干戈(かんか)無用」の文字。干戈とは兵器のこと。争いは必要ないという教えをいただきました。

浄土真宗本願寺派は通常御朱印を書きませんが、当寺は福島正則ゆかりのお寺。参拝客も多いため御朱印を授与しているのだそうです。

 

アクセスとマップ

高井寺は福島正則屋敷跡

福島正則は愛知県に生まれ多くの功績を残し、大大名にまで出世しました。しかし1619年、幕府の許可なく広島城の石垣を修築した罪で、50万石を取り上げられます。

信濃国高井郡と越後国魚沼郡に合わせて4万5千石を与えられ、広島から高山村の堀之内に移り住みました。

64歳で亡くなる5年足らずの間、福島正則はこの場所に住んでいたのです。

 

ご本堂。

 

本堂内には福島正則公の掛け軸も飾られていました。参拝すると同じステッカーがもらえます。

 

 

 

太平洋戦争の疎開地でもあった

高井寺本堂内には太平洋戦争の記録も残されています。東京都から約70名の子供たちが疎開していました。

「終戦後、冬を目前にお金も家族も家も着るものもない子どもたちが東京へ帰って行った。けれど彼らは今成功者として生きている。彼らは何をして生きて、成功したんだと思うか?次に来るまでの、宿題ね。」

住職から言われた言葉。お金、家族、家、衣服。現代の日本でこのすべてを完全に失い、保証されるあてもない人はいないと思います。

どうやって生き延びることができたのか、今度教えてもらいにまた参拝しなくては!

 

高井寺の周辺スポットは?

高山村は自然も文化も歴史も根付いた村。景観も良く、良質な温泉もたくさんあります。

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ABOUTこの記事をかいた人

信州さーもん

兵庫県出身長野県在住の信州さーもん。信州サーモンが実は鮭ではないという秘密を隠して生きている。 毎年参拝していた戸隠神社で御朱印を知り、県内外の社寺を巡るようになる。地名オタク。旅好きなので観光記事もよく書きます。 ポートフォリオ(https://peraichi.com/landing_pages/view/salmon)できました。