火焔のない不動明王 福徳寺
こんにちは、信州さーもん(@goshumemo)です。
史跡の残る町、松代にある福徳寺。
松代にはたくさんの民話があり、いたる所に木製の札が掲げられています。ここ福徳寺にも「火焔のない不動明王」という名前の民話が紹介されていました。
この不動明王は、弘法大師がナタでおつくりになったと言われています。
はじめは火焔を背負っていましたが、1559年にお寺が更級郡杵淵村から現在の松代に移された時、喜び勇んで火焔を空に打ち上げてしまったのだということです。人々はそれを火事と間違え、殿様の命令で火焔を取り去ってしまいました。
これが全国でも珍しい火焔のない不動明王です。管理人は実物を拝見していませんが、背後に薬師如来像が奉られている点においても、他に類を見ない貴重な仏像だといえるでしょう。
この護摩堂は1701年、第3代松代藩主・真田幸道によって建立されました。屋根には有名な六連銭も。
ごしゅメモ
福徳寺(ふくとくじ)
ご本尊 | 地蔵菩薩 |
---|---|
山号 | 枡淵山 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
札所 | |
所在地 | 長野県長野市松代町東寺尾3944 |
電話番号 | 026-278-3967 |
駐車場 | あり |
拝観料 | なし |
公式ページ | なし |
ご縁起
昔は更級郡杵淵村にあったが、川中島合戦後に現在地の松代町東寺尾に移ったとされています。 天文22(1553)年、武田信玄が寺領50貫文を寄付したという記録も残っています。 (松代風土記・長野県の武田信玄伝説より)
元禄14(1701)年、松代藩主真田幸道によって建立された護摩堂には、 火焔のない不動明王がまつられています。 この不動明王は、弘法大師がナタでおつくりになったといわれ、 色黒で大きな目をして、右手に剣、左手に縄をもって仁王立ちの姿であります。 はじめ、背中に火焔を背負っていたのでしたが、 永禄2(1559)年、寺がこの地に移転された時、喜び勇んで火焔を空に打ち上げてしまい、 火事と間違えられて、殿様の命令で取り去ってしまったという、 全国でもめずらしい火焔のない不動明王です。
マップ
御朱印
福徳寺のご本尊は地蔵菩薩像。子供の守り神として信仰を集めています。
福徳寺では無人の「虫歌山 桑台院」「清滝観音堂」の御朱印も対応しています。いずれも信濃三十三観音の札所。
[kanren postid=”115,114″]
長野県の御朱印まとめはこちら
[kanren postid=”163,30,41,36,45″]