「さらしな」の歴史語る 佐良志奈神社
こんにちは、信州さーもん(@goshumemo)です。
佐良志奈(さらしな)神社は、千曲市に鎮座する式内社です。1450年に本殿が火災で焼失したため創建は不明ですが、433年頃だといわれています。
もともと更級山(冠着山・俗称は姨捨山)に鎮座していましたが、887年の震災で社地が欠落し、山麓の若桜社へ合祀されました。「さらしな」の名前を持つ佐良志奈神社は、この土地の歴史を無言で語っています。
「更級日記」の舞台になった美しい景色
「さらしな」と聞くと「更級日記」を連想しますが、作中にある「月も出でで闇にくれたる姨捨になにとて今宵たづね来つらむ」という歌にもあるように、昔から「さらしな」とはこの辺の地方を指します。
「しな」とは「シナノ」から用いられた地名であると考えられます。長野には「しな」の付く地名が多く見られますね。「シナノ」の地名の由来については別記事に詳しくまとめてあるので、良ければこちらも御覧ください。
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手前が拝殿、その奥に本殿が控えています。奥に長く間が野ざらしになっている構造は、弓道場に似ているなあという個人的な感想。拝殿の奥から本殿の中を垣間見ることができます。お雛様のような人形が座っていました。
佐良志奈神社
ごしゅメモ
佐良志奈神社(さらしなじんじゃ)
ご祭神 | 誉田別名(ほむたわけのみこと)[応神天皇] 、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)[神功天皇] 、大鷦鷯命(おおさざきのみこと)[仁徳天皇] |
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社格など | 式内社、郷社 |
所在地 | 長野県千曲市若宮2 |
電話番号 | 026-275-4650 |
駐車場 | 神社裏の公園横にスペースあり |
拝観料 | なし |
ご由緒
延喜式内神社は当時更級郡の中に一一社あったが、その中の一社で、創立年月日は宝徳二年(一四五〇)本殿火災のため焼失し、古文書等はそれ以後のものしか現存しない。 社説語伝は允恭天皇の皇子黒彦王の勧請であって、大鷦鷯命は冠着山支嶺(八王子山)に祀ってあったが、仁和三年(八八七)の地震で現代の八王子組(当時千曲河原)に崩落したため、麓にあった若宮八幡宮に合祀した。
現在でも祭神四体(一体は祭神名不明)が現存している。 当時佐良志奈神社の摂社八王子社(祭神国之狭槌命)は、今も八王子に現存している。正平年中(一三四六~一三七〇)後醍醐天皇の皇子宗良親王御潜居のおり暫時御所とした、その節の逆襲塚があり台石に『信州若宮永和二年丙辰六月十五日契約従衆四五人』と刻んである。
氏子は若宮組三組「黒彦・若桜宮(現在の若宮)・柴原(現在の芝原)」でなかでも黒彦組は戸数多く、市なども立って栄えていたが、天文十一年(一五四二)、慶長二年(一五九七)、同十六年(一六一二)等度々の水害にあい、千曲川の両岸に移住分村して現在に至っている。 明治十五年十月七日郷社に列ぜられる。
(佐良志奈神社より引用)
御朱印
御朱印は拝殿横の社務所にていただきました。
マップ
長野県の御朱印まとめはこちら
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